Ryoma dreamed Beyond the Pacific Ocean

2020年09月01日

創刊記事 【シンガポールだより】 を掲載します。

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依田所長③ (高知県シンガポール事務所長 依田康夫)

 

<シンガポールから土佐日記 その1> ~高知との縁~

 

 本年4月に事務所長として着任いたしました依田です。これからシンガポール及びその周辺国の社会情勢やトピックをお送りしてまいります。記念すべき創刊記事として今号では6年前からの小職と高知県の関わりや思い入れ、任地シンガポールでの新しい役割へのコミットメントについてお伝えしたいと思います。

 

 2014年7月、ほぼ40年に渡るサラリーマン生活を卒業後、東京在住で「毎日が日曜日」のある日、高知県から声をかけていただきました。当時からの国策である地方創生の一環として「高知県産業振興計画を下支えする高知県企業の底力を上げたい。これを手伝って欲しい」との要請でした。私にとって高知は異郷の地、なかなか決心がつかなかったのですが、長年の経験が何かの役に立つなら気力体力のあるうちにと思い至り、高知県産業振興センターに経営統括職として赴任いたしました。こうして高知県と私自身の関係が始まり、2017年までの3年間を高知で過ごしました。赴任後はほぼ毎日、西は宿毛から東は室戸まで幾多の県内企業への訪問を通じて、また私的には温泉、カラオケ、釣り、と多くの知己を得ることが出来、土佐流の交流を皆様と重ねるうちにいつの間にか高知は私のもうひとつの故郷になりました。その後、高知を離れて帰京してからは「遠きに在りて想う」だけの故郷だったのですが、また絆が繋がりまして、再びお世話になることになりました。たくさんの皆様から「高知におかえりなさい」とのメッセージも頂戴いたしました。本当に有難いことです。まさに強い縁でつながっているようです。

 

 縁というものは不思議なものです。今から思えば、高知どころか四国に足を踏み入れたこともなく、高知県経済や企業に関して何の知識もないまま飛行機に飛び乗った6年前の自分自身に驚きます。前職で事業責任者として小さいながらもグローバルな事業経営をそれなりに経験してきたことと、リーマンショックや会計スキャンダルなど幾多の修羅場もくぐりぬけた自信めいたもの、さらに生来の楽天的な性格が自身を動かしたと思います。加えて、高知が磯釣りのメッカであって「太いグレがこじゃんとおるき!」との当時の理事長の殺し文句が決断を後押ししたのも間違いないところでした。

 

 赴任後すぐに何百もの県内企業への訪問が始まりました。それぞれに独特の商材をもっている企業さんの話を聞くのはいつも刺激的で、いわゆる現状把握のフェーズとしてその後の活動に向けて貴重なインプットを得ることができました。事業として小さくとも、それぞれがニッチ市場向けながらユニークなビジネスを展開しておられ、成長ポテンシャルは高く、やりようによっては全国レベル、世界レベルにという感触を持つことができたのがこのころ。反面、やり方次第では、あるいは何もしなければ「高知はガラパゴス化する」との懸念も否めず、公の情報誌フォーラムにもそういう意味の記事を載せてもらったのもこのころでした。この「ガラパゴス化」の意味は、現状で事業が成り立っているから将来も何とかなるとの経営スタンスの危険性に言及したもので、地方経済が莫大な国家予算の助成で成り立っている現実、また全国にさきがけての人口減少速度、経済規模の停滞、などに鑑みて「健康な危機感を持つべし」とのメッセージにほかならないものでした。今考えれば、まったく「釈迦に説法」のようなもので顔から火がでそうですが、当時の率直な印象でありました。

 

 その思いは、後年の「企業の底力のアップ=戦略性のアップ」との問題提起につながりました。企業経営というのは継続することが基本的な社会的責務です。そこを意識するほど、将来の自社の姿を思い描くこと、現在からその将来の姿の実現に向けての課題に悩むこと、が不可欠。これがどこまでできているだろうかとの発想でした。この重要性を認識しつつ、しっかりと将来を語れる経営者が多かったのは心強いことでしたし、老舗企業では事業承継の難しさに悩みながらも次代を担う若い人たちが元気だったのも嬉しい発見でしたけれど、高知全体としての「戦略性の強化」というテーマは間違いなく踏み込むべき領域に思えました。もっとも、全国的にみても中小企業ならほとんど似たような状況です。しかし、だからこそ公的支援機関がそこに着眼して、小さいながらもちゃんと戦略性のある事業展開ができる企業群を創出することの意味は大きいでしょうし、このことが目指すのは「小さくともキラリと輝く高知」にほかなりません。

 

 この発想を県トップが真正面から受け止めてくださり、高知県として戦略策定と実行の両場面で県内企業を徹底支援するというテーマがスタートして現在に至ります。この間の公務の仕事の進め方のスピード感には驚くべきものがありました。トップの意向がすぐに現場に反映されるという小回りのきく高知ならではの強みだったのでしょう。とはいえ、スタートにあたってはいろんな懸念がありました。戦略のプロが皆無の状態でどう進める?予算は?公務が本当に受け皿になれる?等々。今思えばこれらは二義的な問題に過ぎなかったようで、本質的且つもっと深い懸念は「企業側がこういう類の公務による戦略支援のオファーを受け入れる下地があるか?」だったと思います。戦略支援となれば自分たちの強み、弱み、財務状況、問題課題、を共有せねば進みませんから、企業が自身を丸裸にさらけだすことが前提となります。換言すれば医者にかかるときに隠し事があってはならない道理です。この部分で躊躇する企業がほとんどではないかと思われました。実際に支援を受け入れて取り組む企業がどれほどあるかは想定困難でしたが、口には出さずとも個人的には数社あるいは十数社でも乗ってくれる企業があればと勝手に思っていました。

 

 このテーマを企業に説明するときには全力投球が必要でした。戦略って何か?なぜ重要か?なぜ公務がそこまでやるのか?どの企業向けにも時間を使ってじっくり説明しました。本気度を疑われたらアウトです。戦略支援会議、産学官のアドバイザリー体制、シンクタンクの参画、等の新しい仕掛けが稼働しました。尾﨑前知事の言われたという「組織でシステマティックにやれ。長丁場の勝負になる」との将来を見据えた強い意志が有難いことでした。

 

 結果、戦略取組企業の件数は4年間で200社を超えるという目論見の大幅な上方修正になりましたが、件数が増えたそのこと自体は「継続」という新たな次元のチャレンジの前段にしかすぎません。冷静な目でみた現状の客観把握の確からしさにスタートして個々の戦略内容の妥当性、整合性、実現性という戦略ストーリーの質のほうが決定的に重要なことです。戦略策定では表面をなでまわすのはご法度で、ストーリーの現実性と実現性が最後まで徹底的にこだわらねばならない部分です。今回、私の拝命しましたシンガポールにおける役割は、その戦略を支える海外展開実行場面(Execution)での企業との伴走にほかならないわけで、策定支援から実行支援へ、という意味では撒いた種を刈り取る役割ともいうことができます。これも縁のなせる業なのでしょう。

 

 企業活動の中長期的課題のなかで、海外ビジネス展開の維持発展、あるいは新規開拓は間違いなく優先度の高いテーマです。現下のコロナ渦の状況で、小職も現地への渡航はスタンバイ状況、且つ現地事務所の活動もシンガポール政府の強力な規制で不自由さが続いています。それでも、「明けない夜はありません」から3名の事務所スタッフとともに収束後の反転攻勢に向けて全力投球してまいります。県内企業の皆様にはより一層の海外事業拡大を図るなかで、ヒト・モノ・カネ・ジカンという4つの社内経営資源に加えて県の海外拠点であるシンガポール事務所の持つノウハウやパワーをフル活用していただきたいと思います。

 

(文責:高知県シンガポール事務所長 依田康夫)

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